メドジディア (Municipiul Medgidia)
考古学調査により、ドブロジャには、新石器時代には人が居住していたことがわかっている. 紀元前46年、この地域は、ローマ帝国の支配下に入った. カラス峡谷にはカストラがあり、これが現在の町の起源となった.
1417年、トルコ人はドブロジャに入植し、15世紀以降、一帯はイスラム教徒が住むようになった. 集落は「カラス」(トルコ語で「黒い水」の意味)と名付けられ、1497年にはIehuda ben Zaraの地図にも登場している. また、パオロ・ジョルジョ(1590年)やエヴリヤ・チェレビ(1653年)の著書でも言及がみられる.
近代のメドジディアの町は、オスマン帝国によって、もともとカラスの町があった場所に、1856年に建設された. クリミア戦争の難民を収容するための計画都市であり、ドブロジャ中部の経済的な中心地としての役割も果たした. 町の名前は、当時のオスマン帝国のスルタンであったアブデュルメジト1世に因んで名付けられた.
露土戦争後、北ドブロジャはルーマニアの領土となった. メドジディアはコンスタンツァ県に吸収される以前、シリストラ・ノワ県(1878年〜1879年)の県都であった.